Riffe  & Navy Company

 ライフル社(アメリカ、カリフォルニア州サンクレメンテ)と私たちネイビーカンパニーとの出会いと付き合いはライフル社ジェイ=ライフルがまだロサンゼルス南部のダナポイントの自宅のガレージファクトリーで彼のオリジナルスピアガンを製造していたころからの始まります。1980年代のことです。日本では1960年代から70年代後半までがスクーバ、スキンダイビングにおけるスピアフィッシングの最盛期でした。80年代になり多くのダイブショップが当時アメリカなどではやり始めた新しいビジネス形態のスクーバスクールビジネスに移行しました、それまでなかったこのビジネスはすべて任意の団体ながらその利益率のよさも加わり、ビジネスとして拡大していきます。あくまで任意団体ですから、これといった法的規則や、枠組みがあるわけではありませんから、誰でも設立できるわけです。わかりやすく言えば、団体といわれるものは、広告力や組織力で有名、無名はあっても、Cカードについて言えばどの認定カードでもいわば有効のみで無効が無くどこのカードでも国際的に通用するのが普通です。瞬く間に日本でも、数々の新指導団体が核分裂のごとくその数を増やしていきました。Aという団体内の幹部が新しくBという団体を起こし、さらに、B団体内の幹部が、新しくC団体を起こすといった具合にアメリカ国内や、日本では特に多くの指導団体が生まれました。それまでカードなど存在自体がなく、誰もが気軽に、自己責任で、友達同士で潜るスタイルでした。週末になるとショップのスタッフが一緒に遊びで海に付き合ってくれたものです、もちろん教えてもらうのにお金など必要ありませんでした。機材販売がショップの営業ですから買ってもらうことに対するサービスでしかありませんでした。ダイバー人口も少なく、当時としてはお金のかかる遊びでしたから、今とは異なりちょっとしたステータスでもありましたしある意味でアドベンチャーな海の世界でした。スピアフィッシングは当時の男性の冒険心を特にあおったものです。もちろんカメラなどを楽しむ人もいましたがごくごく一部にすぎませんでした。 スクーバダイバー人口の増加により今までほとんどなかった漁業者とスクーバダイバーのトラブルも多発するようになり、講習ビジネスの好調もあり、ダイビングショップは銃の販売を次々に縮小しました。アメリカの一部の大手スクーバ指導団体では、スクーバU.W.HUNTER(アンダーウォーターハンター)のスペシャリティコースが有り、当時アメリカでは競って多くのダイバーがこのコースを受講していました。日本人でもこのカード取得者がある程度いましたが、意図的によるものかどうかはわかりませんが、日本国内ではこのコースはアメリカやそのほかの国のようにあまり普及しませんでした。ひとつには、タンクを使っての行為がフェアーではないと言う意見もあったのも事実です。1986年前後ついに日本のスピアフィッシングの終焉がやってきました。一方、スキンダイビングで楽しんでいたダイバーはこんな状況によりとんだとばっちりを受けることになりました。なぜならこの10年近くの漁業者とのトラブルはそのほとんどが、タンクを使った新興のスクーバでのものだったからです。日本では、現在に至ってもスクーバとフリーダイビングの専門店の境界がありません、海外ではフリーダイビングやスキンダイビングの専門店があり日本と少し異なります。そして80年の後半に入ると、つい先ごろまで永く、水中銃、手銛を販売していた多くのショップがこれらのギアを一掃してしまいました。1970年代、日本から世界のフリーダイビング国際スピア競技会に毎年優秀な選抜選手が送り出されました。彼ら日本代表フリーダイビング選手は当時のスピアフィシャーマンの憧れでした。スポーツの本質により近い素潜りでのこれらの競技会は、スキンダイバーだけでなくスクーバで銃を使う多くの一般ダイバーからも畏敬の的でした。日本でもブルーオリンピックといわれた大きなフリーダイビング(素もぐりによる魚突き)競技会も日本海で、開催されました。
故ジャック=マイヨール氏が活躍したのもこのころで、当時のダイビング雑誌でもあった「海の世界」などで広く日本のダイバーにも知られました。
 当時は、マレスサブ、ボィト、クレッシーサブ、テクニサブ、ブッシャー、チャンピオン(キャバレロ)、マリン、ターザン、バズーカ、マッハ、ステン、といった海外のものが主流でしたが、国産のタバタ、鬼怒川、ダイブウェイズなども善戦していましたしその他にもマイナーな小さなメーカーがたくさんの国産モデルを作っていました。スキューバプロ、アクアラング、アポロ、マレスなども自社製品や、輸入銃を取り扱っていました。日本では、特に、マレスのエアーガン(ステン、ミニステンなど現在も販売中)、ボィト(通称50など。製造中止ただし、JBLOEMでした。)、ブッシャ―(マリリンなど)、カバレロ(キャノンなど。後年ブッシャーに買収される。)が人気がありました。60年代70年代には、男性ダイバーのほとんどが一度はこれらの銃を買ったものです。それがダイビングそのものだったともいえます。80年代になって日本ではある意味で転換期が訪れます。
 そんな衰退一方の日本国内の現状に比べ、アメリカ、カナダ、それに、ヨーロッパの、イタリア、フランス、スペイン、ギリシャ、では、有名ダイビング機材メーカーが、これら最新の水中銃、ロングフィンを毎年競って開発販売しました。それは、ヨーロッパメーカーでは今現在も盛んです。各メーカーは、自社選手チームを持ち、あらゆるサポートを行い競技会での結果はその年のセールスにも大きな影響を及ぼしますから、まるで、F1のカーレースのごとくです。世界各国で世界選手権選抜の選考会が行われます。そして、毎年1回行われる世界選手権優勝を目指すのです。スピアガン、ロングフィン、マスクはもとより、ウェットスーツにいたるまで、最新のものが開発されます、そして、この大会の勝者がその年のセールスを制するわけですから、各メーカーとも新素材やデザイン開発に一生懸命であり、その恩恵をわれわれダイバーが受けるわけです。

アメリカなどでは、一部入漁券(ゲームフィッシュライセンス)が不要な州を除き、ゲームフィッシュ協会などで、入漁券が年間で20ドル前後で取得でき、魚種,解禁期間,捕獲規定数、捕獲最小サイズ、などが決められ誰もがルールさえ守れば楽しめるようになっています。
ちなみにカリフォルニア州では、ロブスターは1日に7尾までで産卵の終わった、10月から毎年解禁となります。スキンダイバーもスクーバダイバーも待ちかねたようにお祭り騒ぎになり、海岸線のショップは、夜を徹してエアーチャージをすることが、客寄せの広告にもなっています。みんなこぞって海に出かけます。まるでワインのボジョレーヌーボォーの解禁と同じです。ハワイなどはこのようなライセンスは必要ありませんから一年中みんなで楽しんでいます。アメリカでは、さらに、海底の沈船等から金貨などを探したりと、日本では育たなかった、自由なダイビングの色々な遊び方が生まれ現在も増え続けています。何よりのそれぞれの楽しみ方が日本のように、単一で平面的で、ある意味で個性の無い教科書的な遊びに収まらないのがアメリカなどの多彩なダイビングスタイルです。スピアフィッシングに関しても、マグロや、カジキといった大物を狙うブルーウォーターハンティングや、オフショアーで行う中型から小物狙い、さらには、ハンドスピアーといわれる手銛による子供のころから始めるスピアフィッシングなど、海水、淡水を問わず、盛んに行われています。タコ採り大会、海老採りダービー、チャリティースピア大会などありとあらゆる所で、一年を通じて愛好者の間で行われています。著名なダイビングメーカーが多く協賛しています。
 一方、日本にはそれだけのパイと社会的環境がなく、スピアは、個人のひそかな遊びと化していき、スクールビジネス等の駆け引きもありいつのころからアンダーグラウンドなイメージを持つようになりました。
 そんな時代、私どもと、ライフルとの交誼が始まりました。仲を取り持ったのは、あの有名なスピアフィッシィングチャンピオンのテリー=マスの友人で彼のビデオなどにも出演している、本人も当時超一流のスピアハンターでもありさらに、アメリカでも最古級の超一流のメンバーが多く在籍する名門スピアクラブチーム、「ロサンゼルスネプチューン」のメンバーであったドン=ガービーでした。
 50年以上続くこのクラブチームには特に伝説のスピアハンターが多く当時のスキューバプロの社長で有名な、ディックボーン氏や、ショーンコネリーの007の映画の水中シーンの水中銃の担当とか、アドバイザーなどのメンバーもいました。ドン自身は、F1の仕事を当時していいました。アドベンチュラスなことが、好きなところがお互い気に入ったようです。ドンは、やがてクラブの事務局長となって行きます。
 ジェイ=ライフルもクラブの中心的メンバーでありこのドンの大の親友でした。それから、3年間、彼の仕事を見ました、彼の長兄ジョン=ライフル(2004)の考え方や、世界中のスピアハンターとの交誼や人脈、さらに今はリタイアした、次兄ジム=ライフルのチーク素材のずば抜けて繊細で完成度の高い加工技術や、ポリシーなど、オレゴンでアーチストのごとくすばらしい感性を銃に注ぎ込みました。彼は、私を気に入ってくれて、チークの中でもめったに出ないといわれる横縞の美しい木目のパーツを4本探すのに10年間集めてやっと完成させたといって、ある日、1本のブルーウォーターガン作って渡してくれました。今でもそのガンは美しく私の秘蔵のものです。さらに、ジェイ=ライフルの驚くべき研究心の強さ、さらに、何よりもすべての人に愛される人柄のよさ、彼は、世界中の友達を会うたびごとに紹介してくれました。ロシア、ブラジル、チリ、南米、南アフリカ、西アフリカ、ヨーロッパ各国、北欧、フィリピン、インド、サウジアラビア、オマーン、トルコ、フィジー、バヌアツ、オーストラリア、ニュージーランド、タヒチ、グアム、コスタリカ、パナマ、メキシコなどアプネアダイバー、フリーダイバー(スピアフィシャーマン)のほとんどが彼を慕って事あるごとに集まり、海や、色々な話で盛り上がります。私も紹介され知り合ったフリーダイバーが現在では恐ろしい数になり毎年のクリスマスカードだけでも優に200通を超えるほどです。日本で、スピアガンが一部の老舗ダイブショップを除き、一般のショップの店頭から消えつつあるまさに、その時代でした。最初、そのチークの木目の美しさに惹かれたその銃はやがて当店のメインとなっていきました。ライフルファミリーといわれる中でも仲もよい、彼に近い仲間たちが、新しく開発した商品のテストを繰り返し、さらに、機能的なものができていきます。素材であり、システムでありフィーリングでありパワー、デザインでもあります、そんな我々のアドバイスやアイデアを、彼は自分の中で、常に蓄積、構想して、彼自身の最終判断で、新しい商品が完成します。できたばかりの商品が、どれも、完成度が高く、実用性に富み、機能性に優れすぐ使え、評価がどれも高いのは、製品化されるまでのこのような、プロトタイプのテストを我々が行い、参考にされ、意見が生かされることにあります。
 ファミリーのメンバーは、現役のトップダイバーですが、個性豊かで、ユニークな存在です。基本的に、家族同様のリレイションシップでつながっていることです。ともに遊び、ともに働く、といった非常にアメリカ的なことです。私は、ジェイの自宅でよく過ごしますが、いつも一人で近くの海に出かけたり、彼の家で一日中ボーっとしたりします。時にはファクトリーに出かけて実際に組み上げたり、アクセサリーの加工を自分用にしたりします。毎年1,2回は家族ともども色々な友人のいる国の海にスピアフィッシングに出かけるのも恒例になっています。まるで子供のように皆無邪気に楽しむスタイルがお互いを引き付け合うようです。
 そんな、ファミリーの中心メンバーに、ロビン=カーディンがいます。カルフォルニア在住の世界中のフリーダイバーが知る、この陽気で、とてつもない大男(身長208cm)は、元全米水球チームのメンバーで、タフですばらしいフリーダイバーです。新素材の発明者でもあり、F1チームにも素材を供給していました。ライフルメタルテックシリーズの素材は彼の供給です。メタル等新素材に対する知識がずば抜けていてそれが彼の仕事でもあり趣味のフリーダイブにも如何なく発揮されています。彼も稀代のスピアピープルで敷地内にダイビング専用の日本では考えられない大きさの温水プールを作って、シューティングや、新しいアイデアを自分で試しています。乗馬もできる敷地内に自分のスピアガン専用のワークハウスと作ったりと彼のスピアに対する好奇心は驚きものです。彼の家にも必ず何日か滞在しますが、何でも驚くほど豪快でいつも驚かされますが、半面繊細な面もあり、芸術家の知り合いも多く紹介してくれたりもします。
 さらに、若くして、ハワイのスピアフィッシングの「先生」といわれる、日系アメリカ人ブライアン=ヨシカワがいます。彼のハワイでのスピアフィッシングの功績は大きなものがあり、多くの後輩を育て、数々のスピアフィッシング競技会を開催し、色々なスピアフィッシングタックルを考え出しハワイ中に普及させました。最初に当時誰も見向きもしなかった日本のメーカーのマスクをクォリティーだけを武器にアメリカで普及させたのも彼でした。ライフルを初めてハワイに広めたのも彼です。すばらしいアイデアをいくつも発案し、現在のライフルにも大きな影響を与えました。ハワイは日本の海によく似ていることもあり、決まって彼の意見や、私の意見はお互いいつも後日新しいアイデアを生みそれが商品の一部になります。彼はチャイルドキャンサーアソシエイション(アメリカ子供癌基金)のチャリティーのための盛大なスピア大会を毎年父の日にひらき、社会的にも多数貢献しています。私たちネイビーカンパニーも協賛支援しています。おたがいの家系が、日系人でもあり特に気の合う最も仲の良い仲間の一人です。彼は2004年の全ハワイフリーダイビング名誉ダイバーに選ばれました。我々はもちろんライフル以外のあらゆるグッズも取り扱いその性能、フィーリング、改良点、そのほかのデータが、私や、彼から伝えられ、開発材料のひとつになります。
 さらにジェイの娘のスピアフィッシャーマンのチャンピオンでありワールドレコードの、保持者でもある有名なジュリー=ライフルからも実践での色々なデータがもたらされます、さらに次女のジル=ライフルによるマーケッティング、そして何よりも我々に理解ある彼の奥さんのジャッキー=ライフルの存在は偉大です。彼女は、ライフルインターナショナル副社長でもあり世界中のフリーダイバー、販売網に通じていて、仕事以外でもまれわれのよき理解者です。私が、どこかに行くといえば、その地球上のありとあらゆるフリーダイバーの情報を私たちに伝えコーディネートしてくれます。時には、自家用ジェット機や、ヘリで集まる人もいるので驚かされます。アフリカの果て、南米の果てであろうとも彼女にすればスモールワールドなのです。これらの人々が、まるで、ジェイを中心に家族や、兄弟のように我々は信頼の元にビジネスも行っています。
 我々ライフルファミリーは現在も、この瞬間も明日のライフルのモデルを試行錯誤しています。1本の銃が出来上がるまでの歴史の中に、我々ネイビーカンパニーはいるのです。現在日本でもライフルはメジャーになりましたが、その銃の完成に関わった事で本当の意味でそのものを知ることができると思います。カタログや、ネット上に無いストーリーがそこに有ります。私たちにとってRIFFE スピアガンは道具以上のものがあると思っています。
私たちはどのライフルガンに関わらず、商品をそのままでなく、より使いやすく、その国や、フィールドにあった、ちょっとした加工をしています。たとえば、湿気の多い日本では、シャフトにさらに錆びにくくするために、シャフト全体にテフロン加工を施したり、グリップも滑り止め加工をしたり、あまりパワーの無い小柄な日本人にも楽に素早く、強いゴムが掛けやすいように、シャフトの途中に中休み出来るゴム掛けレストをつけたり、銃のバランスを考えたシャフトやポイントの選択など、これらの考え工夫された物をネイビーカンパニーでは販売していて、同じライフルでもアメリカ本土に無いオリジナリティの高い使いやすい商品となっています。
 水中銃の面白さは、自分に合わせて使いやすく加工していく事に面白さがあります。フロートや、スタビライザーウィングを取り付けてより取り回しを良くしたり、シャフトを換えて飛びを良くしたり、ポイントを換えたり、スリングゴムのサイズを変えてパワーを調整したりそのほか付属品を工夫したりと、色々な楽しみがあります。
 私たちネイビーカンパニーは、ライフルスピアガンの国内唯一のスペシャリストです。単に販売に携わっているわけではありません。あなたのアイデアや、意見があれば、ぜひお知らせください。私たちを通じて、24時間以内にジェイ=ライフルの耳に入ります。世界を通じて、さらに良い優れたスピアガンを作るためにあなたのアイデアは生かされます。この文章は奇しくも、ジェイ=ライフルと、今日、ヒューストンで会い、皆でわいわいと話しながら書いています。
   彼から、皆さんに一言  “Happy Spear Fishing!!
                        

2004.10.15 Houston Texasにて 
テッド クワハラ
ネイビーカンパニー




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